あしたの散歩帖 ふくしまの旅

◆撮影時の新型コロナウイルス感染防止対策
出演者は、検温・体調管理を徹底し、撮影時以外はマスクを着用しております。
撮影スタッフは、最小限の人数で検温、体調管理を徹底し、出演者との接触も最小限として撮影を行っております。

Vol.03 国見・桑折・飯坂

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One day

駅を降りると、どっしりとした山がこちらを見ていた。川は静かに流れて、空はひろく、穏やかな風が頬を撫でる。
「おーい!こっち、こっち」亜季が手を振っているのが見える。
「待たせちゃったかな。迎え来てくれて、ありがと」七海は荷物を後ろのシートに置いて、助手席に座った。
「どこでもいいから、どこかに行きたい」
七海がそうこぼしたのは、半年に一度の全体出社の日だった。
リモートワークがすっかり当たり前になってもうすぐ3年になる。入社した頃はふたりとも都内で働いていたのに、七海は仙台の支社に異動。亜季は去年から実家に戻って、リモートで仕事をするようになった。
画面越しではよく話していたから、十分わかり合っていたような気持ちでいたのに、久しぶりに会った七海はなんだかすごく小さく見えた。
「七海。次の三連休どっかいこうよ」亜季が言った。
「うん、でも自分がどこに行きたいのか、ぜんぜん思いつかないや」
「じゃあ、私の地元に来ない?飯坂温泉っていうところなんだけど」

「さ、行きますか!」
ふたりを乗せた車が走り出す。
広い空の下には、ゆったりした山並みがひろがっている。助手席の七海は窓を開けると、息を吸い込んで目を閉じた。
着いたのは、桑折町のレガーレこおり。広々とした店内からは、香ばしくて、いい匂いが漂っている。
「まずは、ピザを作る体験をして、出来立てを食べるところからはじめるよ」亜季が言うと、「ピザ作り!」七海は目を丸くする。亜季は、目だけでにやりと笑った。
「こんな午前中からピザ作りをする日がくるなんて思いもしなかったよ」
「白くて、やわらかくて、この生地たちかわいいねえ…」
丸く広げた生地に、カラフルなソースや、野菜を乗せていく。
「亜季、チーズ乗せすぎじゃない?」
「チーズの量は幸せの量だから…」
ふたりが作ったピザが、大きな窯で焼き上げられる。出来立てのピザは、こんがりとした焼き色がついて、湯気が立ちのぼっている。カッターでピザを切ると、チーズが伸びて、だらりと皿に落ちた。
「いただきます!」声を合わせて、焼き立てのピザを急いで頬張る。どちらからともなく、ふふふと笑みがこぼれて、それから吸い込まれるように自分で作ったピザを平らげた。

「あ~最高だった、もう幸せ」
「はやっ、まだお昼だよ。旅はこれからだよ」
そう言って次に着いたのは、半田銀山Brewery。
「まさか、ピザからのビールですか」
「そうです」
「わたし、亜季のこと見直したわ…」
建物の中に入って、クラフトビールの説明をしてもらう。たくさん種類があるビールを見比べて、気になったものを購入した。

「今日はひたすら美味しいものを食べて、体を幸福で満たすツアーを決行します」
「こちらは準備万端です」
適当なところに車を止めて、町の中をふらふらと歩いてみる。
老舗の雰囲気が漂うお店がちらほら並んで、誘われるように入店してお店の名物を買った。菓子工房の大野屋では、地元の桃の果肉と生クリームが入った「桃ふく」を。昔ながらのレトロな建物が目を引く本間肉店では、挽き肉を薄いハムで包んで揚げた「ウエスタン」を買って店先で食べた。
「あのう…一足お先にいいですか…?」そう言って七海はさっき購入したクラフトビールを取り出した。
「あー!ずるい…。…まあ、今回だけは許すけど、飯坂温泉着いたらすぐ乾杯しよう」
七海は亜季の顔をちらりと見てから、満足そうにビールを飲み干した。
「さて、じゃあそろそろ向かいますか!」
「待ってろ~、飯坂温泉!」
「七海、仕事の時とぜんぜんキャラ違くない?」
「温泉、温泉!」すんすんと車の方に向かう七海には、亜季の声が届かないようだった。

温泉街に到着。川の流れる音、路地裏には猫がまどろんでいた。
まずは宿にチェックインして、荷物を預けてから、浴衣に着替える。
旧堀切邸という、広い建造物を見学したあと、庭にあった足湯に浸かる。少し歩き疲れた足をお湯が包んで、心も一緒にほどけていくようだった。
七海は穏やかな表情をしていたけれど、その目の奥にはさみしそうな気配があって、それは亜季にしか感じることができないとても小さな揺れだった。
街中で見つけたカフェに入って、コーヒーをいただく。自家焙煎されたばかりの豆の香りに満たされた店内は、とてもゆったりとした時間が流れていた。

もうすっかり辺りは暗くなって、街の中には提灯の灯りが灯っていた。 「七海に絶対食べさせたいものがある」と、意気込む亜季が先導して暖簾をくぐったのは、「餃子・串処 でんでん」。「アレをお願いします!」亜季が言う。店主は頷く。 飲み物を頼んでしばし待つと、ふたりの目の前には、香ばしい匂いを放つ串揚げが運ばれてきた。こんがりと揚げられた串がずらりと並んでいる。 「これは、絶対にやばいやつだ…」 「でしょ!熱いうちに食べよう!」 口に入れて噛みしめる。サクサクの食感。野菜の甘みがぎゅっと閉じ込められて、口の中にやさしく広がる。うずらの卵やチーズ、いろいろな具材があって、目がいそがしい。ビールを流し込むように飲むと、串揚げとビールの往復が止まらなくなって、ふたりの間から会話が消える。「もう少し追加で頼む?」と七海が言うと、「いや、そうしたいところだけど、まだこの先があるからちょっと我慢して」とめずらしく亜季が制した。

店を後にして、また夜の街を歩いていると光る看板に、「談妃留」という文字がくるくると回っていた。
「だん…ひ、る?」 「そうダンヒル!二軒目はこちらです!」
中は、昔の喫茶店のような造りで、どっしりとした木の大きなカウンターが印象的。
「マスター、インデアンと、初恋フィズ2つ。あと裏メニューのアレお願い」着席すると、メニューも見ずに秋が言った。
「え、待って。何を頼んだのか一個もわからなかったんだけど……インデアンって何?あと初恋なんとか……」
「まあ、いいから任せておいて。ここ、小さいときからずっと通ってて、私ここで育ったようなものだから」
マスターが奥のキッチンの方へ消えたかと思うと「はい、初恋の味。初恋フィズね」と、言いながら飲み物を手渡してくれる。
「初恋の味ってなんですか」七海が聞いた。
「さて、なんでしょう。とりあえず、飲んでみてよ」
白いのに、透き通っているようにも見えるドリンクには、薄く切られたレモンが添えられている。一口飲んでみると、甘くて、でも爽やかな懐かしい味がした。
「それから、これがインデアンね」
そう言ってマスターが運んできたのは、太めの麺にカレーが絡まったカレースパゲティ。スパイシーな香りに、また胃が刺激されてしまい、思わず手が伸びる。
「うわ、美味しい…」
「そうなの、ただのカレーがかけられたスパゲティじゃなくて、インデアンはインデアンとしか言いようがない特別な味なんだよね」
「たしかに、何がちがうんだろう。とにかく美味しいな…」インデアンの謎を解明しようと、何度も口に麺を運ぶ。

マスターが、またキッチンの方から現れて「はい、お待たせ。うちの裏メニューね」と出してくれたのは、円盤の形にぎっしりと並べられた餃子だった。
「餃子が裏メニュー!?」
「そう飯坂名物の円盤餃子!メニューには書いてないのになぜかお客さんみんな知ってて、だいたい餃子を頼むんだ。うちの餃子は絶対に作り置きしない。だから、注文が入ってから一個一個包んでいるわけさ」マスターが誇らしそうに言った。亜季はビールを、七海はハイボールを注文して、ふたりでまた乾杯をした。

「あーよく食べた。さすがにもうお腹いっぱいだわ」
「本当に今日はよく食べたよね。だけど、なんかもう一軒くらい行きたい気がする」
「わかる。じゃあ、あと一軒だけ行きますか!」
亜季が連れて行ってくれたのは、一軒のバーだった。
「こんばんはー」
「あれ、亜季ちゃん。よく来たね、こちらはお友達?」
「うん、会社の同僚の七海っていうの」
「はじめまして」
挨拶を交わして、テーブルに座る。カウンターの奥には、たくさんの種類のお酒のビンが並ぶ。
「ここは楽屋って言うお店なんだけど、生の演奏を聴きながら飲んだり、みんなでスポーツ鑑賞できる憩いの場所なんだよ」
店内を見回すと、ピアノや、大きなスクリーン、ダーツマシンまである。
てきぱきとお酒を作るマスターを見ながら、七海は酔いがまわってきた頭で「きっと人を喜ばせることが、好きなんだろうな」と思った。亜季は、マスターと親しげに話を続けている。

One day

窓からたっぷり注がれる朝の光が、まだ夢の中にいるふたりの部屋に差し込んでいる。寝返りを打った七海の顔が照らされて、眩しそうに顔を歪める。それから少し経って、「やばい…!今、何時だろう……」と勢いよく起き上がった。
「亜季!起きて。わたしたち昨日、宿に戻ってそのまま寝ちゃったんだよ」七海が亜季の体を揺らす。
「うーん、起き上がれる気がしない」
「朝風呂行こ!旅館の内風呂あったよね」
タオルと着替えだけ持って、七海が亜季を引っ張るような形で宿の階段を下りる。お風呂のドアを開けると、湯気がふわーっと立ち昇る。
「あー!目が覚めた。せっかくだから外の温泉もはしごしない?鯖湖湯、もうやってるみたいだし」「朝から元気だなー…」
浴衣のままふたりは宿を出る。下駄が地面を叩く音が、朝の通りに響いた。

朝6時から開いている温泉の鯖湖湯には、もうすでに先客が居た。
「言い忘れてたけど、ここの温泉かなり熱いから、入れるかわかんないよ。わたしも、鯖湖湯来たの久しぶりすぎてどれくらい熱かったかあんまり覚えてないや…」服を脱ぎながら亜季が言う。
「入れないくらい熱いってどういうこと」七海が笑いながら浴槽の方に向かっていく。
「あーーー熱っっっっつ!!!」七海の声が浴場に響き渡った。
「だから言ったじゃん」
「こんなに熱いとは思わなかった、史上最高に熱い。熱すぎる」
「熱っっつ!!!足だけでも無理だ、これは本当に無理なやつだ」亜季が笑う。
浴場の窓から入った朝の光が、水面にきらきらと反射する。ふたりの笑い声を、湯気がそっと包んでゆく。

深い緑の中、ふたりを乗せた車が走る。気持ちの良い庭に、大きな古民家。笑顔で出迎えてくれたのは、「染織工房おりをり」の美佐子さん。
「いらっしゃい。今日はここで、草木染めを体験してもらいます。でも、まずはその前に腹ごしらえね」美佐子さんが用意してくれた朝食をいただく。風に葉っぱが揺れる音を聴きながら、ゆっくりとご飯を噛みしめた。
すべて自然の材料から色を染めてゆく草木染め。木をじっくりと火で煮出して、その染色液に布を浸して待つ。自分の手を動かしながら、無心で何かを作るなんて一体いつぶりだろう。布はやさしく美しい色に仕上がった。美佐子さんが、それを縫ってくれて、素敵なあずま袋が完成した。

次に目指したのは、国見の道の駅。お土産や果物、野菜をいろいろ買った。フードコートで見つけた鯖バーガーを買って、外で食べる。
「この近くにさ、すっごく透明度の高い池があって、そこでお願いごとをすると叶うっていう言い伝えがあるんだ」亜季が言う。「いいな、そこ行ってみたい」七海は顔を上げて言った。

御瀧神社の湧き水を湛えるその池は、角度によって水色に見えたり、深い緑にも、透明にも見えた。
「うわー、すごい綺麗」七海が目を光らせる。
「わたし昔から、嫌なことがあったり、しんどい時、無性にこの池を観たくなるんだ。自分の立つ場所を変えると、色が変わるでしょ」そう言って亜季は、少し移動して池を覗き込む。
「なんかさ、うまく言えないけど、自分がつらいって感じているこの気持ちだって、ただのつらさじゃなくて、本当は何かを頑張りたいと思っているから、こんなにもつらいのかもしれないな、とか考えたりして…」そこまで言って秋が七海の方を見ると、その瞳には涙が滲んでいた。

「ここ、お願い事が叶うんだよね?それなら、わたしひとつだけ今、願いたいことがあるよ」
「じゃあ、一緒にお願いしよう」
「うん」
目を瞑って、池の方に願いを投げる。ゆっくりと目を開けると、さっきまで透明だった池が今度は水色に光っていた。

ふたりはまた車に乗り込み、元来た道を走る。長いようで短かったような、短いようで長かったような、昨日から続くこの時間を思った。
飯坂温泉駅に着いて、七海は車から降りる。旅をはじめたこの場所に、七海は昨日とは、ちがう表情で立っている。
「亜季、ほんとにありがとね」
「また明日から頑張ろ。それで、また嫌になったらここに来ればいいさ。」
七海は微笑んで、それから手を振り、駅の構内へ消えていった。
夕暮れの色を焼き付けるみたいに、亜季はまばたきを繰り返して、ゆっくりと暗くなる温泉街の様子をいつまでも見つめていた。

04. 塙町/Hanawamachi