あしたの散歩帖 ふくしまの旅

◆撮影時の新型コロナウイルス感染防止対策
出演者は、検温・体調管理を徹底し、撮影時以外はマスクを着用しております。
撮影スタッフは、最小限の人数で検温、体調管理を徹底し、出演者との接触も最小限として撮影を行っております。

Vol.02 相馬

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One day

海を見ていた。太陽はもうだいぶ高い位置にあって、遠くで雲に透けている。穏やかな波の音が鼓膜を揺らすのを、目を閉じて聴いてみる。まわりには誰もいなくて、こんな場所にひとりでわたしはいる。目の前にはぽつんと浮かぶ小さな島。その先の方には海を渡るように伸びるまっすぐな道が見える。
映画を見るか本を読んでいると勝手に時間が過ぎていく週末は、お腹が空いたら適当にご飯を食べて、夜になったら眠った。どこかに行くのは疲れるし、誰かに会うのは特別な用事でもない限りしばらくしていなかった。また月曜日から金曜日までの長くて、重たい時間がはじまることを考えると、家にいてじっとしているのが一番いいと心から思って、そうしていた。
その日の朝は、自然と早く目が覚めた。窓を開けて外の空気を吸い込むと頭が冴えて、体は軽かった。散らかった部屋の様子に目をやると、「どこかへ行きたい」という気持ちがふつふつと湧いて、気がついたら車に乗り込んでいた。
「とりあえず海を目指そう」それだけを決めて、まだ空いている道を走った。

わたしが見ていた海は松川浦という場所だった。地図アプリで自分がいる場所を確かめる。はじめての場所、知らないところ。ひとりでいる心細さの裏側に、これから何がはじまるだろうという好奇心の気配を感じる。歩いていると『ととや』と描かれた控えめなお店が見えた。「営業中」の赤い旗が海風でばたばた揺れている。まだお昼には少し早いけど、せっかくだし昼食を食べておこう。しらす丼を注文して、荷物を降ろす。ぼうっと店内を眺めていると、お店のお母さんが早速運んできてくれた。丼にこれでもか、というくらいどっさりとしらすが乗っている。真ん中に卵の黄身を落として、それを箸でそっと崩す。お醤油をかけていただくと、あまりの美味しさに思わず目を閉じた。ゆっくりと鼻から息を吐いた。幸先が良い旅の予感。とりあえず海沿いを歩いてみよう。

船がどこかへ出港していくところや、海鳥が群れになって飛んでいくのが見えた。海は波の音しかしなくて静かだった。
ふと、前の方を見ると、人が集まっている。みんなしゃがみこんで、何かしている。遠巻きに見ていると「あ、こんにちはー!」とわたしに気づいた男性が挨拶をした。「何しているんですかー?」と大きめの声を出して尋ねると「釣竿をねー、作ってるの!よかったらやる?」とこちらに近づいてくる。「釣竿をつくっている…」頭の中で言われた言葉を反芻していると、「ほい」と笹を渡された。
「この笹の葉っぱを落として、糸をつけて釣竿にするんだ。ちょうど今はじめたとこだから一緒にどうですか?」屈託なく笑う男性の表情を見て「え、いいんですか。やってみたい」と答えていた。
普段からは想像できない自分の積極的な姿勢に驚きながらも、その様子を楽しんでいた。

竿作りは思ったよりも難しかった。男性(管野さんと言った)にほとんど助けてもらいながらなんとか完成。管野さんは、完成した釣竿を目の前の海に向かって振りかざし、ひょいっと持ち上げると、竿の先には小さく光る魚が付いていた。「え…すごい!」「これはハゼという魚、鱗が綺麗でしょう。さ、やってみ」わたしも見真似で釣り糸を垂らした。だけど、結局ハゼを釣ることができなかった。

「難しい…」と嘆くわたしを見て、管野さんは橋の方へすたすた歩いていく。「ほら!こっち来て見て!」と言われて近づくと、大量の枝をひとつに縛ったかたまりを海の底からそっと取り出した。それをタライにあけると、小さな魚や蟹がひょろひょろと現れた。「これは笹びたしって言って、さっきの釣竿を作るとき、要らなくなった枝を集めて海に浸しておくの。そうすると魚とか蟹とかがそこに隠れるからそれを採る。これも昔からある漁のひとつなんだ」たくさんの生き物が動いている。じっと、見ていると珍しい形の模型のようなものがいた。
「お、タツノオトシゴが混ざってる。これは運がいい証拠だね。あなた、ハゼは釣れなかったけど」そう言ってまた屈託なく笑ったから、わたしも笑った。気がつけば日が少しずつ沈んできて、夜の気配がある。

予約してあった旅館にチェックインすると、「今日の夕食は浜焼きをやりますから、時間になったら外に集まってくださいね」と言われる。言われた場所に行くと、宿泊している数組のお客さんが集まっていた。網の前にみんなで並び、貝やイカ、えびなどを焼いていく。香ばしい匂いがしてくると、お腹が急に空いてきた。夫婦で来ている人と、大学生の女友達3人組が一緒だった。「コロナで卒業旅行に行けなくなってしまったので、ここに来たんです」という話にみんなで耳を傾ける。「遠くまで行かなくても、こんなに美味しいものが食べられてよかった」という声に、なぜかわたしまで嬉しい気持ちになった。

「今日はきっと星が綺麗ですから、おすすめのスポットに案内しますね」と宿の方が言う。ガイドをしてくれる人が来て、月明かりを頼りに夜の道を歩いた。風が吹くと、手の先と耳が一瞬で冷たくなった。旅館で貸してくれたブランケットをリュックから取り出して、顔だけを出すような形でくるまった。海の底の方から響いてくるような波の音は、昼間とは別の顔で、きびしく、どこか寂しい感じがした。
空を見上げると、雲の隙間からこちらを覗いているようにまるい月が見えた。そして、その周りにちいさな星がいくつも散らばっている。雲には月の光の色が映って、そこだけ明るい。
繰り返す波の音を聴いていると、ここに来ることが最初から決まっていたような気持ちになった。目が慣れて、今まで見えていなかった星がたくさん浮かび上がってくる。ずっとここにあったのに、見えていなかったもの。この景色を、今度は誰かと見に来たいな、と考えながら、ぼんやり浮かぶ月を眺めていた。

One day

入念にセットしておいたアラームを一度で止める。起き上がってカーテンを開けると、太陽はもう登り始めていて、あたりは朝の空気に包まれて白かった。港から船が出港していくのが見える。昨日、宿の店主が自転車を貸してくれる、と言っていたことを思い出して、急いで支度をはじめた。

ぐいぐいペダルを漕ぐと、風が顔に吹き付けて冷たかった。波の音と自分の呼吸の音だけが聞こえる。わたしは息を大きく吸い込んだ。自転車を止めて海を眺めていると、白いきれいな犬が走ってきた。近くに寄ってきたので、頭をなでてみる。まっすぐ向けられた黒い目には、わたしの姿が映っていた。飼い主がやってきて「あなたそんな格好じゃ寒いでしょう」と笑った。ひとりで来たことを話すと、「ここはいいところよ。こうして毎日散歩をしているけど、空の色も海の様子も毎日ちがうの」と言った。たしかに、ずっと見ていられる景色だと思った。

潮がゆっくりと引いていくように、心が静かになってゆくのを感じた。朝日が水面で光ってきらきらと揺れている。眩しくて目を閉じると、海風が吹いて、まつ毛の間を通っていった。これはどこから来た風だろう。遠い国の海を渡って、ここまで届いたのかもしれない。どこかの国では、今のわたしと同じようにひとりで海を見ている人がきっといる。そんな風に思った。

車を走らせながら、ゆっくり今日は寄り道しながら帰ろう、と決める。まだ日曜日がはじまったばかりだ。どこかで朝ごはんを食べられるようなお店がないか、と考えながら運転していたら大通りから一本逸れた道に入ってしまった。人通りがほとんどなく、道の両脇にはスナックのお店の看板たち。これは、どこかで引き換えした方がよさそうだ…と思っていると目の前にレトロな建物が現れる。

営業中の看板の横に『サントップ珈琲店』と描かれている。入り口にはたくさんの植物が並び、一人の男性が吸い込まれるように店内に入っていった。よし、ここに入ってみよう、車を停めて扉を開けた。「はい、いらっしゃい」と言ってマスターが、それから優しそうな女性がにこにこして出迎えてくれる。「ひとりです」と伝えると奥の方にあったテーブルの席に案内してくれた。ふかふかした緑色の椅子に座る。店内はあたたかくて、コーヒーのいい香りがした。カウンター席では常連のお客さんが新聞を広げている。メニューを開くと、コーヒー意外にもいろいろな飲み物がある。ページをめくると食べ物もたくさんあって、種類が豊富なホットサンドのページで完全に目が止まった。

コーヒーと、ハムチーズホットサンドを注文し、店内をぐるりと見渡すと、ところどころに年季の入った置物や、いつかのメモ書き、誰のものかわからないゴルフバックなど様々なものが置かれている。脈略のなさそうなものたちが、完全にこの店の一部になっていることが不思議だった。コーヒーとホットサンドはほっとする懐かしい味がした。
「ここはどれくらいやっているんですか?」と聞いてみると、「はじめて50年。太陽のように輝くお店にしたくて『サントップ』って名前にしたんだよ」とマスターが話す。いろいろなものが置かれている店内は、今までいろいろな人を迎えて、受け入れてきた気配があった。50年分の時間と、人が交差してできたこの場所にわたしも迎えられて、また次の場所を目指す。

通りを進んでいると、ちらほらとお店が並んでいた。趣ある大きな建物には『山形屋』と描かれ、看板の横には「本場 相馬味噌」の文字が。自分へのお土産に味噌をひとつ買った。店を出ると、また古くて大きな建物『かつ吉』があった。通りかかったおじいさんが「これは百年建築!」と言って去っていった。
駅の方に進むと『鳥久精肉店』というお店があって、商店のような店構えの奥には、赤く光る精肉がずらりと並んでいた。ふらふらと散策を続けていると、わたしのようにゆっくり歩いている夫婦や、道で眠っている猫がいた。大きなトラックが横をすり抜けていって、それを見送っている。空が広い、と思った。

相馬駅に着いた。駅の正面には、風情ある大きな木造の建物があり『ふくしまや』と書かれたのれんに「手打ちそば」の旗。入店し、蕎麦のセットを注文すると運ばれてきたのは、白色にきらきらと光る新蕎麦だった。地元の人がどんどんやってきて、座敷はたちまちいっぱいになる。にぎわう店内の中で、ひとり黙々と蕎麦を食べた。
そろそろ家に帰らなくては、と自宅までの道を検索して道を頭の中に叩き込んだ。わたしの小旅行は終わりに近づいている。海を見て、人と話して、美味しいものを食べた。食べてばかりいたような気もするけど、まあそれもいいや。

運転を続けていると、ちいさなコンビニが見えた。コーヒーでも買おうと思って駐車すると、すぐ隣に神社があった。鳥居の朱色が鮮やかで、近づいてみるとその先に美しいアーチを描いた橋が架かっている。

この先に何かがあるような気がして、吸い込まれるようにして奥の方に進んでゆくと、空に向かってまっすぐに伸びる大きな杉の木が生えている。静かな森の中にぽっかりとできたようなその空間の中で、空気は張り詰めて木々がわたしを見下ろしていた。どっしりした構えの本殿に、背を正してお参りをする。『涼ケ岡八幡神社』と描かれた看板には、「元禄八年建設」とある。時間を超えて人の想いや長い時間を含んだ空気が、そのままの純度でここにはある。たしかに、ここにあることを、ひりひりと肌で感じることができた。行きと同じ橋を渡って引き返すと、両側にあるのは桜の木だとわかった。また冬を迎えて、春がくる。春になったら、この場所のことをきっと思い出そう。そう思って写真を一枚撮った。

それからわたしは『船橋屋』というお菓子屋さんに立ち寄って、お土産を買った。お店の隣には雰囲気のよい休憩スペースがあって、二人組の女性が和菓子を食べながらお茶をしていた。明日、会社に行ったらこの週末のことをきっと話そう。同僚の顔を思い浮かべながら”相馬銘菓”と書かれたお菓子を選ぶ。車に乗って、自分の住む街を目指した。

部屋に入ると、たった2日の不在なのにどこか他人の部屋のように感じられた。電気をつけて、荷物を置く、それからベッドに寝転がって天井を見上げた。昨日の朝から今までが一瞬の出来事のようだった。相馬の風景や、出会った人たちの顔が次々思い浮かぶ。みんな、今ごろ何しているだろう。きっと海は真っ暗で、またたくさんの星が夜空に浮かんでいるだろう。明日もきっと海はきれいで、港からは朝早く船が出てゆく。釣りをしたり、お店を開けたり、みんなそれぞれの場所で、暮らしを営み、生活を続けている。
少し離れた場所で出会った人たちを、美しい風景を心の中にそっとしまう。「わたしはわたしができることを頑張りたい」。そんな風に思いながら、いつものベッドで深く眠った。

01. 岳温泉/Dake-Onsen